みなさんこんにちは!いのこうです
今回はポーランドのクラクフ郊外にあるアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に行ってきた話です。
唯一の日本人ガイド中谷さんのガイドツアーに参加してきたので、その様子と自分が感じたことを書いていきます。
クラクフからアウシュヴィッツへの行き方についても記載しています。
それではいきましょ〜
※1ズウォティ=約40円
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所とは
ポーランド南部にある街オシフィエンチムには、第二次世界大戦中の1940年にナチス・ドイツによってつくられた強制収容所が残っています。オスフィエンチムという名前ですが、ドイツ語で読むとアウシュヴィッツとなります。
アウシュヴィッツ強制収容所は、ドイツ軍が接収したポーランド軍兵舎を増改築したものになります。鉄道での輸送や運搬が容易に行え、周囲からの隔離が容易であったことからこの場所が選ばれました。ナチス・ドイツが考える「劣等民族をドイツ本国内に入れないようにする」ためでもありました。
さらに詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
公式が出している解説文書です。
ガイドツアーについて
アウシュヴィッツ強制収容所への入り方は2種類あります。
①午後の指定時間に個人予約をして入る
②ガイドツアーに参加
の2種類です。
①の場合はネットで予約をすることができます。入場料は無料になっています。
②の場合も事前に予約ができます。
日本人の方は唯一の日本人ガイド中谷剛さんのツアーに参加することを強く推奨します。なぜなら、日本人視点で、日本人向けに、日本語の細かいニュアンスで説明をしてくださるからです。
予約方法は直接メールでのやり取りになります。行く予定日の1ヶ月前から連絡をしておきましょう。メールアドレスはtnakatani1966@icloud.comです。候補日を2〜3日ほどあげとくのがいいかも。催行の可否はツアー日の10日前に連絡が来ます。
ガイドツアーの料金は150ズウォティ or 30€です。当時のレートで6,000円ほど。現金で当日に手渡すか、PayPalで事前に送金することもできます。
行き方&帰り方
行き方と帰り方について説明します。
アウシュヴィッツへはクラクフの中央駅から電車で行くか、バスターミナルからバスに乗って行くかの2択です。個人的なオススメはバスです。なぜなら電車やと、オスフィエンチムの駅からアウシュヴィッツまで20分歩くことになるからです。バスなら直接目の前まで行くことができます。
バスは事前に予約ができます。
こちらがサイト。片道22ズウォティ(約880円)ですが、往復で買うと少し割引され、41.8ズウォティ(約1,672円)になります。
ツアーに参加
ツアーは14時半にスタートしました。
入り口で集合し、チケットを受け取る形です。入場にはパスポートが必要なので、必ず持って行きましょう。中谷さんの声を聞くためのヘッドホンを受け取り、早速中に入って行きます。
最初に出てくるここは、収容棟ではなく、服を配ったりするとこやったらしい。
1940年の6月14日が始まった日です。
最初は728人のポーランド人が連行されたそう。ドイツ側からしたら政治犯ですが、ポーランド側からしたら英雄です。
これがアウシュヴィッツの全景の航空写真。
これが有名な「働けば自由になる」と書かれているゲート。この文言は全くの嘘です。
煙突があるのは厨房です。元々はポーランドの兵舎でした。
柵には電流流れていたそう。ここには戦前の建物と、囚人に造らせた建物が合計で28棟あるそうです。途中で楽団員のシステムについての説明もありました。マーチ(楽団員)に参加することは生き延びる術だったそう。
工事中の棟もあります。当時の色を保存するのがかなり難しいそうです。
各地からたくさんユダヤ人が送られたそう。占領した地域にいたユダヤ人を連行したそうで、合計で100万人以上連行されたそうです。着いた瞬間にガス室で殺された人が多く、90万人ほどが被害に遭いました。
当時の床は木製で藁が敷かれていたそうです。ちなみにユダヤ人の定義というのは明確なものではなく、ドイツがニュルンベルク法でユダヤ人を定義したそう。アンネは15歳やったんで大人として見なされ、第二収容所に運ばれたそう。被害者たちは、死んだ後は焼かれ、川や野原にばら撒かれたそう。
第二次世界大戦が始まりポーランドが占領されると、アウシュヴィッツが作られてポーランド人が収容されました。他にはソ連軍の捕虜やジプシーなども収容されたそう。
周辺にはユダヤ人によるゲットーができたが封鎖、ユダヤ人を殺すように方向転換したそうです。その後ガス室ができて、75%はガス室送りになりました。
彼らはビルケナウについてすぐガス室送りになりました。
ユダヤ人の財産は没収され、靴やトランクなどの遺物が展示されています。
収容前は男女で分けられ、子供たちは女扱いされたそう。
ユダヤ人たちはシャワーの言葉を信じてなかったため、表情が暗いです。
当時、世界で尊敬されたドイツの医師が収容所で選別をしていました。戦争で負けて追い込まれたことも背景にあるそう。
コンテナにユダヤ人が詰められていました。
ガス室は今瓦礫になっていて、写真が残ってるのが貴重です。今は模型のみがあります。
看守ではなくカメラを見つけた囚人が撮影した写真です。撮った人の目的と立場が違うので写真がかなり変わります。
気化した殺虫剤ツィクロンBで15分かけて殺される。死体処理はユダヤ人。死体を焼かされるのもユダヤ人でした。これはドイツ兵の精神を守るためです。ガス室は4か所もありました。
殺虫剤はええアイデアとされました。安いのと黒死病の原因を押しつけられたユダヤ人を安易に殺すことができるからです。
次の部屋には髪の毛の展示がありました。髪の毛は生地を作ったり、治療の裏地にしたりするために使用されたそう。写真撮影は禁止でした。
収容棟の再現です。木製の3段ベットが並べられていました。
義足や義肢の展示もあります。障害者も排除され、中にはドイツ人も含まれていました。優生学的思考に基づいていました。日本も優生保護法を適用し、今裁判になっていますね。この価値観がホロコーストにつながると中谷さんは語ります。
ユダヤ人は3〜40kgの制限でトランクに荷物詰めてきたそう。
このお皿もユダヤ人が持ってきたやつ。
『ライフイズビューティフル』という映画を観てほしいと中谷さんはここで語っていました。
2階には約4万組の靴があります。これもほんの一部です。
オシャレな靴も残っています。この理由は感染症疑いを避けるためにハイヒール履くなど綺麗に見せるためです。
この子供の靴には名前が書かれています。手入れしてたら分かったそう。トランクも見つかりました。しかもそれはたった3年前の出来事。ちなみにこの子供は母親と共にガス室にすぐに送られたそうです。なぜわかったのかというと、父親がのちの子供に伝えていたことが判明したからです。
靴や服、金歯はスイスの銀行を通じて世界に流通していたそう。当時、強制収容所という名前は使われず、集中収容所という名前をドイツは使っていたそうです。
アウシュヴィッツの存在は世界は知っていましたが、ドイツ側の理由なので世界は黙認してました。
ドイツ側は写真を撮り、数字も管理していたことで、アウシュヴィッツの説明をできるようにしていました。スイスの赤十字もこれを受け入れたそう。
これはワッペン。ワッペンの色は22か所の収容所同じです。数字は体に刻印されました。赤は政治犯、黒三角はジプシー、SUはソ連、ピンクは同性愛者など区分されました。紫はエホバの証人で、黄色がユダヤ人です。
当時、戦争に負けて経済不況になり、さらに感染症も流行っており、悪い奴を探そうという風潮がありました。コロナ禍でも感染者や外を出歩く人に対してのバッシングがすごかったですよね。こうした考えの延長線上にホロコーストという結果が生まれてしまったと中谷さんは語ります。アウシュヴィッツは急にできたわけではないんです。
この負の歴史を踏まえて、21世紀では社会の心理を中心に教育をするようになりました。冷戦も終わりヨーロッパも高齢化、民族主義も発展し不安定な社会になり、伝え方が変わってきています。
これはジプシーの女の子たち。人体実験で子供を産めなくされました。
囚人服の色が反抗のシンボルになっています。
ここで中谷さんが語っていたのは、英語のグループは世界から人が来るのでオーソドックスな案内になってしまい、大切なことが伝えれない場合があるそう。
これはアウシュヴィッツの所長の家。昨年、彼を題材にした映画『関心領域』が作られました。
ここは最初に作られたガス室。天井に穴が開いており、死体処理は匿名のユダヤ人部隊にやらせたそうです。
この後、無料のシャトルバスに乗ってビルケナウに向かいました。
かつては9万人が収容されていたそう。
連行された人たちはここに停まった貨車からガス室のある林の方へ歩かされたそうです。ここにも修復中の建物が多くありました。中谷さんが言うには、高い入場料は修復に使われるそう。昔の色のまま残すのが難しいそうです。
3段ベッドには1段に4〜5人が詰め込まれました。
看守役の囚人は扉横の個室をあてがわれました。
これは収容棟の中にある、囚人の画家が描いた絵です。子供を癒すために許可もらったのではないかと言われています。この状況を知るために中谷さんがオススメする本は『夜と霧』だそう。
そうしてツアーを終え、僕はクラクフに戻りました。
感想
簡単に感想を述べれるような場所ではないですが、多くのことを考えさせられました。展示物やこの場所の歴史は、自分たちが学校で学んだ内容よりも遥かに重く、凄惨で、痛みを感じるものでした。
この場所で学ぶことができるのは歴史だけではなく、過去の人類の過ちとこれからの未来への教訓、社会心理学や人権問題など様々な分野にわたります。いま私たちが直面している多くの問題、例えばイスラエルでの紛争や移民問題、LGBTQの人権問題などにも結びつく内容でもあります。
全人類に一度は足を運んでみてもらいたい場所です。我々は決してこの歴史を忘れてはいけないし、継承していかなければならないと感じました。
さいごに
今回はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に行ってきた話でした。
中谷さんのツアーはほんまにオススメやから、ケチらんと参加してみてほしい。
次回はもう一つ、クラクフの郊外にある世界遺産「ヴィエリチカ岩塩坑」に行ってきた話です。お楽しみに〜
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